2010年03月12日

病気と闘う

あえて「サッカー」でなく、「DIARY」のカテゴリーで。


大宮アルディージャの塚本泰史選手の手術が無事終わったというニュースが伝わってきました。
http://www.ardija.co.jp/information/clubplayer/201003/pinfo20100312-01.html

不覚にも、電車待ちのホームでこれを読んでこみ上げてくるものを押さえきれませんでした。

病気の苦しみや、悔しさは、本人にしかわからない。
手術が上手くいって、転移もなくて、命に別状なくても
大好きなサッカーでプロになるという夢をかなえ、更なる挑戦を続けていた彼の無念さを思うと
やりきれない思いで胸がいっぱいになる。
あまりに不条理。

彼自身もきっと「どうして俺が??」と思ったでしょうし、
運命を呪いたい気持ちにもなったことでしょう。
私がこんな独り言を言うのは何の慰めにもならないけれど
病気に立ち向かい、負けないことで、塚本選手にしか表現できない「サッカー」ができる。
もちろん、実際にピッチに戻るという希望も絶対に忘れないで欲しいけれど
それ以前に、この運命を受け入れた塚本選手だからこそ伝えられる「サッカー」がある。
だから、どうか誇りを持って、希望を忘れずに、戦い抜いて欲しい。
あなたはひとりじゃないんだから。サッカーを愛するすべての人が味方なのだから。


自分語りになって申し訳ないけれど
私自身も、10年以上病気と闘っている。
最初は卵巣脳腫。腫瘍は12センチにまで達していた。
様々な画像診断の結果、これはガンに違いないだろうということで摘出手術をしてみたら
「悪性とは言い切れない」腫瘍であることがわかった。
手術前にある程度覚悟をしていたけれど、ほっとした。

けれどそれ以上に始末が悪いのが、
卵巣周辺の臓器の癒着が激しいことと、
子宮内膜症も腹膜内にひどく散見しているのがわかったこと。
癒着は、手術ではがすのは却って危険、とのことで
片方の卵巣共々温存して、薬物療法で対処することになった。
とはいっても、内膜症が完治する薬はいまだ存在しないし、
癒着はそのままなのだから、痛みはずっと残っている。
薬の副作用でむくんだり太ったりイライラしたり落ち込んだり
多くの人に・・・とりわけ主人には心配も迷惑もかけっぱなし。
昨年は、また腫瘍が悪性(つまりガン)に転化する可能性を指摘された。
けれど、内膜症の状態がもう少し落ち着いてからでないと
検査のための手術も出来ないらしい。

こういう話をするのはなかなか勇気がいる。
過剰に心配されたり、「同情を引きたいのか?」って逆切れされたり。
いちばん困るのは、こちらがどんなに状況を説明しても理解してもらえずに
安静にしてろとか治すまで仕事をやめろとかいうアドバイスをくれる人。
もちろん親切で言ってくれているのだから、ありがたいことはありがたいのだけれど。

この病気はおそらく治らない。
一生付き合っていくしかない病気。
この病気のために、この先一生何もしないでじっと膝を抱えていろと?

私はそんなのは嫌だ。
もちろん無茶をして身体に余計な負担をかけるようなことはしないけれど
いつ死んでも後悔のないように、一瞬一瞬を精一杯生き抜きたい。

あとちょっと頑張れば到達する夢があるのならば
少しでも多く踏ん張って、夢をかなえたい。
出来るか出来ないかやってみないとわからないことならば
出来る可能性の高そうなものから順に、可能性を全部試したい。

でもそのためには、前提条件として
病気に負けないことが絶対に必要。

では病気に負けないためには?
希望を持つこと、生きがいを持つこと、人に愛し愛されること。

「最後の一葉」が良く引き合いに出されるように
生きる気力を持つことが何より大切。
“あの葉っぱが散ってしまったら私も死ぬ”、そう思っていた人が
風雨に耐え生き残る葉をみて生きる気力を取り戻すのは
決して小説の中の話だけじゃない。

逆に、健康な人でも生きる意欲を失ってしまったら
身体そのものもどんどん蝕まれてしまうでしょ?

だから、私の場合は
ちょっと無理をしてでも頑張ってちいちゃな何かを成し遂げようとすることが
生きる希望となり、病気と闘うチカラになっているのだと思う。

逆説的だけど
「いつ死んでもいいように」と思って毎日を過ごすことが
私にとっての生きる希望。
ここに、具体的な目標が与えられて、
たくさんの人を愛して、愛してくれる人がひとりでも増えたら
病気の進行なんて止まってしまうんじゃないかな?

そんなふうに私は思って、
私なりに、病気と闘っているよ。
posted by ミヤモト at 22:45 | TrackBack(0) | DIARY | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック